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2012年2月10日 (金)

辻子 ー慈眼・石屋・山名の3辻子ー

慈眼辻子(「しげながの辻子」とも称した)

 猪熊通今出川を北行して途中で鈎型に折れたあと、北側の東石屋町と西石屋町の境に抜ける小道。元伊佐町・観世町・慈眼庵町を通貫している。
 天正年間に曹洞宗慈眼庵(寺)の跡地に町家が形成され、町名はこの慈眼庵に由来する。
 慈眼庵は現在、上京区七番町(七本松通出水上ル)にある。
 「観世町」の町名は、観世清次(観阿弥)が足利義満から拝領した観世座の屋敷があったことに因むという。また、観世町は五辻町・芝大宮町と共に今宮祭の鉾町である。観世町には蝶鉾が、五辻町は剣鉾、芝大宮町には蓮鉾がそれぞれ伝わっているとのこと。
 「元伊佐町」は、足利義輝とその家臣野本輝久が永禄8年に謀殺され、野本の妻伊佐が夫の菩提を弔うためこの地に慧光寺を建立したことによるという。


慈眼辻子

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慈眼庵町の木製仁丹町名表示板

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観世町の仁丹町名表示板

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石やのづし

 五辻通大宮の一筋北を東行し、慈眼庵辻子の北端と交わる東西の小道で、東・西石屋町と芝大宮町を通貫している。
 芝大宮町の「芝」は、芝之町・芝薬師町などと共にこの地域の汎称で、「芝の薬師」と呼ばれた霊芝山(れいしざん)大興寺があったからと考えられている。

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山名辻子(やまなノずし)

 今出川通堀川の一筋北を西行する小道で、山名町から藤木町に通貫している。山名宗全の邸宅がこの一帯にあったことが名前の由来。
 応仁の乱で山名宗全がここに陣を構えたことが、「西陣」の由来となっている。一方の旗頭、細川勝元は堀川より東側、犬馬場・西蔵口・一条小川に陣を設けて「東陣」と称したがこの呼称は早くに消え去ってしまった。
 西陣の範囲は、『京都御役所向大概覚書』(享保2年[1717])では「東は堀川を限り、西は北野七本松を限り、北は大徳寺今宮旅所限り、南は一条限、又は中立売通 町数百六拾八町」とあるそうだ。しかし、後代になってその範囲が東西へ拡大したらしい。

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